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kantaryoのラグビーブログ

伝説の名勝負その2

投稿日時:2012/09/07(金) 22:35

前々回の続き。



今年の正月に、これまた伝説の名勝負の放送があった。


舞台は1985年1月に行われた日本選手権決勝で、7連覇をかけた王者、


S日鐵釜石と、大学選手権初の3連覇を達成した、当時学生最強との呼び声


高い関西の雄、D志社大学の一戦。


当時の日本選手権は、社会人と学生のNo.1同士が、毎年1月15日


(当時の成人の日)に東京国立競技場で、雌雄を決してた。



この頃の学生は本当に強かったよねえ。


確かに現代では社会人は半ばプロ化してるから、学生との力の差が出てるけど


当時の社会人は、皆さん仕事を終えてから練習に励んでたみたいだ。


やから時には学生が日本一になることもある。


学生は若いから、一度調子に乗るととんでもない力を発揮するんで、


社会人も真剣勝負してたみたいだ。



この放送のゲストは、釜石から「Mr.Rugby」のM尾雄治さんと、


D志社から「Prince」H尾誠二さんが出演した。


この番組の特徴は、その当時放送された番組をフルで放送し、当事者に


いろいろと質問をするという、画期的なものやったんで、本当に面白かった。


実は釜石のM尾さんは、社会人大会で左足首を負傷し、日本選手権には


病院から直行し、麻酔を打って出場するという強行軍。


しかしチームのプレイングマネージャーでもあり、もちろん主力でもある


M尾さんが出場できないとなるとチームに与える影響は計り知れない。


しかしながら本人は常々、「走れない奴、体を張れない奴は使わない」と言ってて、


この時も自分が出場することを断念したらしいけど、同い年のH口主将が「マツ、


立ってるだけでいいから、出場してくれ!」と懇願し、出場に踏み切ったようだ。



やけど、前半は大方の予想に反して、D志社が実力+若い力を思いぞんぶん


発揮して、リードして折り返した。


釜石のM尾選手も前半は、「らしくない」プレーを何度かやってた。


D志社のH尾選手は前半を終了して、「うちのペースや、今度こそ釜石に勝つ!」と


感じてたらしい。



しかし釜石、そこは常勝軍団&経験の多い社会人。


ハーフタイムで釜石のH口主将が、「M尾のことは気にするな、自分の仕事に


徹しろ!」との激で、前半とは全く変わった強い釜石に戻ってしまった。


M尾選手も後半は素晴らしいプレーを連発してた、まさに「鬼神」の活躍!



結果、N日鐵釜石、日本選手権史上初の7連覇達成!



当時ラグビーを始めたばかりの俺は、この試合をリアルタイムでTV観戦してた


けど、感動したし、本当に釜石は強かった。


皆さんどう思うかは分からないけど、俺は、「日本のラグビーチームで、あの時の


釜石より強いチームを観たことは」、ない。


言葉通り、まさにFW&BK一体となったプレーで、観てる人を魅了してた。


今見ても、ルールは違えど、皆さんめちゃくちゃ上手い、そして本当の意味で


ラグビーをやってる。



ちょっと熱く語り過ぎたけど、本当に凄かったんやて!


でも、ことH尾選手にとっては、あの時負けたから、あの経験があったからこそ、


その後K戸製鋼に進んで、釜石と同じ7連覇を達成したのかも知れないね。



この試合のVは保存してあるんで、観たい人はいつでも俺ん家にどうぞ!


但し、予約録画が上手くいってなく、一番重要なラスト10分が録れてないけどね。


飲みの誘いでは、決して無いよ(笑)!



明日は久々の3部練だ、頑張ろう!


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